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(昭和5年):天塩線が宗谷本線に編入され、音威子府駅 - 浜頓別駅 - 稚内駅(初代)間 149. 全てのドアを手動で施錠して運転を再開したが、旭川駅で運転打ち切りとなり、旭川駅 - 稚内駅間はバスで代行輸送。
ネーションが終了しても はなたび利尻として運転されていたが、臨されてから僅か2年(運行期間としては1年半)で止が発表されてしまい、を発着するは消滅している。 :函館線の - 間を走行中の「スーパー宗谷」2号の先頭車両付近で発煙。
18(昭和33年)10月1日:札幌駅 - 稚内駅(以下特記ない限り2代。
23撮影 31 313D 急行「礼文」 宗谷本線 抜海-南稚内 1995. そのため、「循環運転」を全線堪能するなら、網走-北見を走行しているうちに、前方の車両に移動する必要が生じる。 PDF プレスリリース , 北海道旅客鉄道, 2020年5月20日 , の2020年5月20日時点におけるアーカイブ。
10「スーパー宗谷」に使用するキハ261系気動車(基本番台)の車体傾斜装置を全区間で停止。
牽引機関車は「利尻」と同じく幹線用大型機・が用いられたが、軌道が脆弱な天北線経由の「天北」は名寄駅 - 稚内駅間を軽量中型の・牽引で運行、これも異例の措置であった。
(平成12年)3月11日の宗谷本線高速化竣工に伴うダイヤ改正では、特急列車化され、座席車を「サロベツ」と共通のキハ183系に変更したが、引き続き14系寝台車を混結していた。
いろいろあって、札幌に戻ってきたときはやっぱり7両の姿となるという、別れと出合いを繰り返す人生を彷彿とさせるような列車だったようだ。 もちろん「宗谷」の運転最終日にも中間に連結され、ありし日の急行型気動車の旅を堪能することができた。 車内公衆電話のサービスを終了。
「宗谷」は函館駅 - 滝川駅間で急行「」(函館駅 - 間)、函館駅 - 旭川駅間で急行「オホーツク」(函館駅 - 網走駅間)をそれぞれ併結。