芭蕉は、高い志を抱きつつ「俗」を用い、俳諧に詩美を作り出そうと創意工夫を重ね、その結実を理念の「かるみ」を掲げ、実践した人物である。 古典の知識をひけらかさず、無心で吟じる。 こうしてみると、芭蕉への謎は深まるばかりだ。
11150日間かけて歩いたということで、 一日も休まなければ、 毎日およそ 16キロメートル移動していることに。
66参照• そのような旅路のようすや、旅の先々で詠んだ俳句が『野ざらし紀行』や『奥の細道』といった紀行物語として、生涯で詠んだ1000句ともいわれる俳句とともに、今も多くの人に愛されています。
3「芭蕉」「はせを」の号は,はじめ庵号に由来する戯号であり,愛用したけれども,神社・仏閣に奉献するような改まった場合には,晩年に至るまで桃青・芭蕉桃青・武陵芭蕉散人桃青というような署名をした。
俳諧の革新を大成した蕉風の祖。
13日、遺骸は陸路で近江(滋賀県)のに運ばれ、翌日には遺言に従っての墓の隣に葬られた。
先ずは、芭蕉の本業について。
「奥の細道」の旅 元禄2年(1689)の3月27日、松尾芭蕉は弟子の河合曾良と共に下野、陸奥、出羽、越後、加賀、越前などを周る旅に出かけます。
4しかし寛文6年に良忠が歿する。
・田中喜信『永遠の旅人 松尾芭蕉』〈日本の作家 26〉、1991年。 試された解釈では、身近な日常の題材を、趣向作意を加えずに素直かつ平明に表すこと 、和歌の伝統である「風雅」を平易なものへ変換し、日常の事柄を自由な領域で表すこと とも言う。 一方、栽培バナナは3倍体がほとんどで結実しない(種子はできない)が、野性のバナナでは黒い種子が見られるという。
18石段を上がるとひっそりと水神社がたたずんでいる。
「奥の細道」の記述をもとに類推すると、芭蕉はまるで忍者のように頑健な体力の持ち主なのだ。 芭蕉が工事現場でどのような仕事をしていたかは、帳面付け、水方の役人、普請奉行、水役などの説がありはっきりしない。
14<参考>植物園の温室育ちのバナナたち センナリバナナ 和名は多数の果実を付けることによる。