男は次の連絡があるまで毎日午後6時から部屋に待機しているようにとだけ告げると電話を切った。
彼は「ジョン」と名乗り、自分たちは6人組だと話した。
当初、彼は 「身代金の受け渡し時において、自分は犯人の声を聞いていない」 と証言していたにもかかわらず、のちに証言を翻し、 「犯人はドイツ訛りがあった」 と証言しています。 前述したが、リンドバーグ一家が火曜日の晩に自宅にいたことはこれまで一度もないのである。 供述の矛盾を指摘された彼女はノイローゼに陥り、6月10日に服毒自殺した。
命がけの快挙だった。
1975年(昭和50年)4月、千葉地裁松戸支部で男に対し余罪を含め懲役10年6ヶ月の判決。
戦後に発生した身代金目的の誘拐事件では唯一の未解決事件となる。
証言を覆すリンドバーグ リンドバーグ本人も、早くこの事件を終わらせたい、と思っていたようです。
そのアルジンジャーの証言によれば、彼の父フレッドは、リンドバーグ家の女性使用人で事件取調べ中に謎の服毒自殺を遂げたシャープ、そしてハウプトマンと交流があったとし、彼らが一緒に写っているとする写真を提示、更に「ロバートと父フレッド・母ナンシーの間には何らの血縁関係もない」とで証明されているとしている。