栗田と同じく大和艦橋にいた宇垣纏第一戦隊司令官も、部下の参謀にそれを確認させたうえで、北方に向かうべきではと栗田艦隊の参謀に意見するが、この時点では栗田は突入を優先させ、宇垣の意見具申は通らなかった。 基地航空隊からのは15時30分着電で空母1隻に直撃弾、巡洋艦1隻を中破させた電報を受けたが敵空襲は激化しており、これら航空部隊の攻撃はまだ功を奏するには至っていないと判断せざるを得なかった。 こうして編成された神風特別攻撃隊は、直後の攻撃で敵1隻を撃沈する戦果をあげたものの、逆にこの戦果が特攻の威力を海軍に過信させる結果となり、当初はこのフィリピンのみでの戦法と考えていたこの特攻戦法が、終戦まで用いられることとなった。
5また第4船団の輸送艦3隻も同時にマニラを出撃した。
そんな冗談が現実になり、山城や扶桑のような老朽艦までをも実戦に投入せざるを得なかったことに、連合艦隊の困窮ぶりが表れています。 大本営海軍部も「通信情報ニ依レバ五、六日菲島ニ来襲セシ敵機動部隊ハ『パラオ』東方海面ニテ補給中ナルモノノ如ク」と判断した。 無理もありません。
4太平洋戦争(大東亜戦争・第二次世界大戦)末期の レイテ沖海戦では航空戦力も戦況を大きく左右させた。
その9.もし、レイテ湾に突入していれば…… - 全滅と引き換えに与えた最後の一矢 - 「もし、栗田艦隊が反転することなくレイテ湾に突入していればどうなったのか?」、については「栗田艦隊は全滅しただろうが、その前に相当な被害を米海軍にもたらしただろう」との予測が大勢を占めています。 また遊撃部隊用の新装備「 遊撃部隊 艦隊部」が登場し、護衛のを必要としない 単艦退避が可になる。
910時頃の2度目の攻撃では空母千代田に火災を発生させた。
只、本来の作戦では上陸後2日以内の突入を予定していたのを5日も経過してから突入する事に「突入しても上陸部隊も既に内陸部に行き、物資も揚陸されて位置を把握できず、効果がないのではないか?」という不安が残り、これが栗田艦隊首脳陣の悩みとなる。
時雨と最上は反転・離脱した。
そのようななかで安易に口を開けば揚げ足をとられかねない状況であっただけに、栗田長官としてもマスコミに対しては難く口を閉ざすよりなかったことでしょう。
第4駆逐隊(満潮・朝雲・山雲) 機動部隊本隊の出撃 [ ] 17日の捷一号作戦警戒の報を受けた際、骨抜き状態だった機動部隊本隊は19日には出撃するよう通知を受け空母搭載兵力の確保を急いだ。 この攻撃で護衛空母サンティー Santee とスワニー Suwanee を損傷させた。 ここでどのように進撃するかが問題となった。
17米攻撃機は西村艦隊ではなく、タクロバンの日本軍に振り向けられました。